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天神橋及び界隈の名所、旧跡などご案内致します。

                   ※資料は大阪市のHP,北区のHP,チラシなどから引用しています。

●天満宮
天満宮(てんまぐう、てんまんぐう)は、政治的不遇を被った菅原道真の怒りを静めるため神格化し祀(まつ)っている神社。御霊信仰の代表的事例である。「天神」(てんじん)、「天神さん」とも呼ばれる。
道真が亡くなった後、平安京で雷などの天変が相次ぎ、清涼殿への落雷で大納言の藤原清貴が亡くなったことから、道真は雷の神である天神(火雷天神)と同一視されるようになった。「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という。道真が生前優れた学者であったことから天神は「学問の神様」ともされ、参拝して筆を買うと受験に利益があるともいう。道真が梅を愛し、庭の梅の木に「東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と和歌を詠み、その梅が大宰府に移動したという飛梅伝説ができたことから、梅がシンボルになっていることが多い。<フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より引用>
大阪天満宮のホームページ
 天神橋は文禄3年(1594)に架けられたと伝えられ、当初は橋の名はなく新橋と呼ばれていたが、天満天神社が管理することからしだいに天神橋と呼ばれるようになったという。 天神橋の架設は上町台地と大坂の北部方面を結ぶという意味で大変重要であり、後に天満組となる現在の北区の一部の発展を約束するものであった。
 橋が地域を結びつける上でいかに重要な役割をはたしているかは、戦争の経過を追うとよくわかる。大塩平八郎の乱の発生を知った幕府はいち早く三大橋をこわし、反乱軍をふせごうとした。
 明治18年7月初めに大洪水により淀川筋の橋は次々と流されたが、その直後に鉄橋化されることになり、天神橋には、ドイツからの輸入品で長大スパン66mのボーストリングトラスが用いられた。
 現在の天神橋は第1次都市計画事業によって完成したもので、低い軽快なアーチが中之島の剣先の風景によくマッチし、水都大阪の代表的な景観を形造っている。主要部の形式は3連の軽快な鋼2ヒンジアーチで、両端には重厚なコンクリートのアーチを置き、全体のデザインを引き締めている。
 昭和62年、剣先側にらせん形のスロープが設けられると同時に美装化がなされ、遣唐使船の陶板ブロックや天満宮所蔵の天神祭絵巻を模写した絵陶板が飾られている。

                                          ※大阪橋物語より引用

●ガラスの発祥地が大阪?
←「宝暦年間(1751頃)長崎商人、播磨屋清兵衛、
天満天神鳥居前ニ工場ヲ設ケ、当時ノ玉屋ヲ開業、大阪ガラス商工業ノ始祖トナル」と記載されています。播磨屋は本名久米清兵衛、長崎へ行きオランダ人からガラス製法を学び、大阪天満天神前に工場を建てビードロ (珍しい色のガラス玉細工)の製造を始めました。
故に日本のガラス工業界は大阪が本場と言われています。天満宮の駐車場の入り口、東向きに建っています。
菅原道真