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界隈探訪
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扇町公園
長柄八幡宮
天神橋及び界隈の名所、旧跡などご案内致します。
※資料は大阪市のHP,北区のHP
,チラシなどから引用しています。
●川端康成生誕之地
川端康成は天満宮正門の一つ東の辻にある相生桜(あいおいろう)の南裏手に当たる場所で生まれた。
康成の祖父三八郎は茨木の宿久庄、東村の庄屋、戸長を務めたが、事業家肌で諸事業に手を出しことごとく
失敗しすべてを失って豊中に移ったが、見かねた人々の援助でどうにか東村で暮らす。
その長男栄吉は東京の医学校済生学舎に学び、大阪へ戻って明治三十一年この地で開業、
康成が生まれる。やがて栄吉は結核をわずらい、わずか三年で閉院となり、妻の実家の近く
東淀川区豊里村天王寺庄へ引っ越してすぐ三十二才の若さで亡くなった。妻ゲンも栄吉の病に感染し
間もなく死亡。康成と姉芳子は祖父三八郎宅に引き取られるが、小学校入学の時に祖母、四年生の時に姉芳子、
中学三年の時に祖父を失い天涯孤独となる。後年康成はこの幼い頃の辛い思い出が、
忘れられなかったのか生家辺りに立ち寄ることを頑なにこばんだ。ノーベル賞受賞後
「日本近代文学館」の開設に尽力。昭和四十七年四月ガス自殺した。
●堀川戎神社
北区西天満5-4-17
川端康成
川端
←「堀川のえべっさん」として、南の今宮戎と共に
親しまれている神社。6世紀の中ごろ止美連(
とみのむらじ)吉雄が、
蛭子神のお告げによって浪華堀江の芦辺で玉を拾い
これを神霊の代わりとして難波富島に祀ったのが始まりと
されています。
下記の大塩平八郎前を更に西へ。信号を渡った南側。
●大塩平八郎墓所
北区末広町1
↑天保8年(1837年)、自らの蔵書を金に換えて人々に
与え、窮民救済に立ち上がりましたが、失敗して自害。
人々が絶大な尊敬の念を寄せた大塩平八郎は、成正寺に
眠っています。
地下鉄南森町駅下車。天神橋筋北へ2つ目の
信号を西に左折。徒歩70mくらい。右側。
↑大阪造幣局の北側の歩道にあります。